20150115

鍛錬

私は小学校の4年から5年くらい、近所の絵の教室に通っていたことがあって、そこはプロの画家の方が自宅のアトリエで子供達に教えてくれるというスタイル。一応、プロから教わるという経験をしていたわけだけど、週に一回、アトリエに行くと、花瓶だとかランプだとかがテーブルの上にセットしてあって、それを黙々と絵に描いて、出来上がったら「できました」と先生に見せ、先生は「あ、ここがいいね」とか少しコメントをして、「はい、おつかれさま」で帰宅。

そもそも、あの絵の教室に行きたいと言ったのは自分からだったんだけど、それは通りがかりに見えるそのお家が古い洋館のようで、窓から石膏像が見えて、素敵だなぁ、と思っていたからで、しかも油絵のあの道具のケースとかイーゼルとかキャンバスとか、猛烈に憧れていて、そういうミーハーな気持ち丸出しでの教室通いのスタートだった。
ところがいざ始まってみると、描くのは座卓に正座で画用紙に水彩画だし、静物画はあんまり面白くないし(先生は、他に描きたいものがあったら好きなもの描いていいんだよ、と言ってくださってたけど、自意識過剰だから自由に表現することは恥ずかしい。。。)、そんなわけでなんかイメージしてたのと違ったなぁ、となってしまった。

話はそれて行くけど、小学校3年生のときに通い始めた書道教室も、そこにすでに通っていた同級生の言葉「お習字の先生の家には玄関が2つあるんだぜ〜」っていうのに反応して、そんなお家ならばいってみたい!という好奇心がきっかけだった。じっさいは、教室のお部屋用に別な入口が作ってあるだけの普通のお家だったわけで、これも、あれ、なんか違うなぁ、となったのだった。でも、先生の褒め上手もあって、とりあえず「元気に大きく書く」という小学生ながらのセオリーを会得して実りはあったはず。

絵の教室の方はだんだんテンションが下がって行って、結局なにも会得しないままに辞めてしまったようなものだった。もうちょっと、先生とコミュニケーションとったり、油絵やってみたいんです、って言ったりできればよかったのかな。
覚えているのは、一番乗りに教室に行って、そーっとアトリエにあがる階段をあがって、シーンとしているなか一人で絵を描き始める自分の姿。あのお家の雰囲気は好きだったんだよなぁ。

そんなことを思い出したのは、こないだの週末に、お友達が出演するというので声楽のコンサートに行ってステージを見ているときだった。何年かぶりに会う彼女はその間に母になり、より一層パワフル&ピースフルな雰囲気をまとっていた。

声楽ってものは自分の体が楽器だから、声楽家のすることは、スポーツ選手が体を鍛えたり体を自分の思うように動かせるようトレーニングしたりするのと同じようなことなんですって言ってた彼女の言葉。つま先から頭のてっぺんまでフルに声を響かせるその技術は、そのためにどれだけの鍛錬を積んだかという時間の蓄積を思わずにはいられなくて、ああ、自分は絵とか芸術とかそういうものの近くにいたけれど、「鍛錬」という言葉からはほど遠いところにあったわねと考えたりしたのだった。

飽きっぽい私でも続けられるような、夢中になることがきっと出てくるに違いないと期待しながらもうすぐ39歳。60代から突然絵を書き始めて80代で賞をもらうおばあちゃんの話などを心のどこかで自分に置き換えて、呑気に転機をまっているフシがある。
今のところの目標は40歳になったら弓道を再開しよう、ということかな。

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